一般文学部生の徒然草

一般文学部大学生があることないこと語ります

初投稿

このブログは主に大学の文学部生の視点から物事を捉えていくものだ。まず、文学部という学部についての私見を述べたい。

 

一口に文学部と言ってもその中身は非常に奥深い。文学だけでなく言語・歴史・文化・心理・哲学・倫理・宗教etc.と、文学部で扱う学問の幅が広いからだ。その上これらは互いに密接な関係を持つ。(したがって学生も所謂根暗文学少年からかなりアクティブなタイプまで様々存在する。女学生が割と多くなるというのも一つの特色であろうか。)

 

しかし、近年日本の文系軽視の流れにおいては最も文学部が割りを食っているように思う。理由は簡単だ。文学部の研究の成果は実用的でない―社会の発展や利益にすぐさま貢献するものではない―からである。ここが理工系との大きな違いだ。こうした考え方が文学部の予算を年々減らし、文学部の学生を就職難に陥らせているのではなかろうか。

 

我々は問い直す必要がある。文明の基礎は何であるかを。それは言語であり歴史であり文化であり……といったように文学部の学問領域とほぼ重なる。文学部の研究を軽視することは、これまでの文明の発展を否定することにすらなりかねない。かつて始皇帝焚書を行った後秦国はどうなったか。ディオクレティアヌス帝がそれまでの統治の仕方を抜本的に変えた結果ローマ帝国はどうなったか。人間が文明の中で培ってきたもののを否定するような考えはやがて文明自身を滅ぼしかねないのだ。

 

文系大学生は遊んでばかりいるように見られがちである。実際、中には「なんのために大学に入ったの?」と言いたくなるような学生(一部の教員も含めてもいい)も存在する。「遊び」を否定するつもりはない。しかし自分の好む学問領域に対して真摯になれないようではダメだと思う。もしあなたがそうであるなら、あなたが文系軽視を推し進めていると考えてもらわねばならない。

 

……と、まあ意識の高いことを述べた。私は歴史が好きで、歴史をより深く知りたいから文学部に所属している。ゲームを好きな人がゲームをやり込むのと考え方自体は全く一緒だ。意識の高いことを書いたけれども、私にとって文学部の学問はゲーム好きにとってのゲームと同様のものである。文学部では、好きなこと・やりたいことをとことんやり込める。他学部との大きな違いはそこにあると私は思う。